執着と苦しみが増大する理由

 前回は、人類とは切っても切れない「苦しみ」の原因となる執着には、いったいどんなものがあるかを見てみました。

 小さなものから大きなものまで、ほんとに様々な執着がありますよね。

 執着が増大すると、苦しみも増大します。執着の対象が、「手元にあって絶対に失いたくないもの」と、「手元に無くて、どうしても欲しいもの」のどちらであっても、その執着の度合いが大きくなればなるほど苦しみも大きくなります。そして、執着は妄想(ストーリー)を伴うことで自動的に増大し、ストーリー自体が執着の対象となることで、結果的に苦しみが爆発的に増大します。

 ちょっと解りづらいかもしれませんね。例を挙げてみましょう。

 まずは「失いたくないもの」への執着です。

  • 大好きな可愛い恋人、好きすぎて失うのが怖い
  • 人生が楽しすぎて永遠に死にたくない、いつまでも生きていたい
  • 大切なお金。絶対に失いたくない
  • 心を許せる友達、絶対に失いたくない
  • 心安らぐ家庭、絶対に失いなくない
  • 今までに一生懸命に得た知識、絶対に失いたくない、誰にも教えたくない

 さあ、あなたにも何か当てはまりませんか? 当てはまるからといって、それが悪いということではないのです。人間であれば、こういう感情もごく自然に沸いてきますよね。

 でも知っておいて損はないのは、「失いたくない」という想いが、本来は変化し続け、消えたり増えたり入れ替わったりする対象への「変わって欲しくない! 今のままでなければ嫌だ! 失ったら怖いし苦しい!」という抵抗だということなのです。

 「これしかない!」という想い、それは失うことへの恐れから来ているかもしれません。自我との関係において限りあるものとして捉えている対象に「失いたくない」という強い感情を抱くのですね。そしてここでは、執着を抱く対象に一定の条件付けをしていることにもお気づきでしょうか? 

 私自身にも、そういう対象はあります。ペット(飼っているチワワ)に対して、ずっと生きていて欲しいと感じてしまうことが、たまにあります。本当は、飼い主よりもペットが長生きしたら、きっとペットがとてもかわいそうなのですが。

 せっかくなので、ペットを例にもう少し掘り下げてみましょうか。

 失いたくない想いが強すぎると、飼っていること自体が辛くなってしまうでしょう。今日は元気でも明日は病気になりはしないか、急な事故に見舞われなくても、いつかはいなくなってしまうんだなと、可愛さ余ってそんな想いにばかり囚われているとしたら、一緒にいて楽しいはずの「今」という大切な時間に悲しみが影を落としてしまうからです。これは、自我(エゴ)のレベルの愛への執着です。

 あるいは、大好きで失いたくない恋人の場合でも同じです。「失いたくない、ずっと自分の恋人でいて欲しい」という想いにばかり囚われてしまうと、キラキラ、ワクワクしても良いはずのデートの最中に「恋人を失う恐怖」が支配的な意識になっていますから、相手に投げかける言葉も行動も優しさを欠いたものになってしまいがちです。あるいは、大切に想っている気持ちとは裏腹な行動を起こしてしまう可能性だってあります。発する声の波動も、既に相手を失って嘆いている人の声の波動そのものになっているのです(だからこそ後日、本当に恋人を失ってしまうのですが!)。あるいは、「この人は誰か他の人を好きになってしまったのではないか?」という妄想に囚われてしまうかも知れませんね。このようなストーリーを作り出すようになったら、それこそ大変です。最初はほんの一瞬脳裏をかすめただけのチクリとする程度の妄想でも、それを繰り返し思考しては有りもしないストーリーを妄想し続けていると、次第に本当の苦しみとなって自我が妄想によって支配されるようになります。繰り返される妄想は、前回お話した「今ここにあるもの」ではなく、「今ここにないもの」に対する執着となります。自分自身ではない対象を、あたかも自分の一部または全部であると勘違いして信じることから来る執着です。私たちの寿命でさえも天から与えらえたものであって、寿命という長さ自体が自分の全てというわけではないですよね。

 健康なのに「死にたくない、人生を失いたくない」という想いにばかり囚われて生きるならば、それは人生に輝きをもたらさないばかりか、死にフォーカスを当てながらただ命を長らえるだけの生き方を選択していることになります。度が過ぎると、結果的に精神を病んだり健康を著しく害することになってしまいます。

 こうしてみると、何かに固執して「絶対に失いたくない」というのは、失うことの恐怖に囚われているのとイコールです。そこに意識を置いて生きるのは、とても勿体ない生き方かもしれません。未来へ恐怖を感じるということは、今という大切な瞬間を恐怖でいっぱいに埋め尽くしてしまうことなのです。失う苦しみに囚われているその瞬間、苦しみ以外の何ものも体験していないことに気づくと良いですね。

 感情を伴って繰り返す、ひとつの物事への拘りこそが執着を増大させます。知らず知らずのうちに執着を増大して苦しみを増大する練習をしてしまっているのですね。

 次に、「手元になくて、どうしても欲しくて欲しくてたまらないもの」に焦点を当ててみることにしましょう。

 どんなものがあるでしょうか? 例えば・・・

  • 今よりもずっと大きな高収入
  • 子供
  • やりがいのある仕事
  • 伴侶
  • 恋人
  • 結婚
  • 大きな家

 もっとたくさん有りそうですが (-_-)

 そこには大抵、対象にヒモづけされた期待と、それとは真逆だと信じ込んでいる「現状の捉え方」が存在しています。つまり・・・

  • 高収入なら殆ど全ての悩みを解消できるはず、でも手に入らないから苦しい
  • 子供がいたら、きっと夫が家にいついてくれるはず、でも子供がいないから寂しい
  • やりがいのある仕事についたら充実した人生になるはず、でも今は充実していない
  • 伴侶がいたら寂しくないはず、でも今は独身なので寂しい
  • 恋人がいたらもっと楽しいはず、でも今は楽しくない
  • 結婚すれば安らぐはず、でも今は独身なので安らぎがない
  • 大きな家に住めば気持ちも大きく豊になるはず、でも今は気持ちが広がらない

 さあ、どうでしょう?

 これもまた単なる妄想、ストーリーだということが分かりますよね。こんなストーリーでも繰り返し思い描いてばかりいると、対象が手に入らない状況が続く限り、たった今、目の前で展開されている時間が味気なく感じられるでしょう。そればかりではなく、究極的には「私はなんと不幸なのだろう!」という苦しみに発展していきます。〇〇がなければ□□にはなれないという条件を、勝手に設定してしまっていることに気づいていただけますか?

 苦しみは執着が生み出します。最初は小さな執着が生み出す小さなチクリとする痛みでも、それを繰り返し意識や想念として宇宙に発したり、あるいは言動として外に向かって継続的に表現し続けることで、苦しみは手に負えないほど増大していくこともあります。

 執着が苦しみを増大するのは、そこに自ら作り出しているストーリーが介在するからです。そして次第に、ストーリー自体にも執着し始めるからなのです。

 本来、直接的には関係がない「仕事のやりがい」と「人生の充実感」を紐づけして、仕事にやりがいが感じられれば人生が充実するに違いないと信じるストーリーへの執着です。ですから、仕事にやりがいが感じられない今の人生は充実していないという図式になってしまいますね。「結婚」と「安らぎ」は本来イコールではない独立したものなのですが、上の例では結婚すれば安らぐに違いないと信じるストーリーへの執着が生じています。大きな家に住めば維持管理や毎日のお掃除も大変になり、「ああ、大変だ~」と感じる結果になるかも知れませんし、固定資産税も大きな負担になる可能性もあるのですが、そんなことは二の次で、大きな家に住めば気持ちも大きく豊かになるに違いないと信じるストーリーに執着している例です。

 そうなんです。

 人は妄想が大好き、ストーリーが大好きなのですね (~_~;)

 理性的かつ客観的な判断ができなくなる。それも執着の特徴です。

 さて、私たちは執着がどんなものか、ほんの少しは理解し始めたかも知れません。

 でも、頭で理解していても執着は手放せないし、そんな必要はないと感じるし・・・、それでもやっぱり現に苦しみまでも味わっていて、それをどうすることもできない!と感じているあなた、もう執着のスパイラルに入っていますね。それでも、改善する方法はあります。

 方法は、意識を成長させることです。意識を妄想よりも上の次元で拡大することです。

 は? 何のこっちゃ? と思われましたか?

 意識は、どこまでも成長する伸びしろがあるのです。宇宙の源と一緒になることさえできるのです。意識が全てを形作っていますから、そこを拡張して次元を少しずつでも上昇させていくと、小さな執着や苦しみなら自然に消滅していきます。その結果、目の前で流れていくことにしっかり意識を置くことになり、周りの物事も自然に流れ、かつては見えていなかった喜びの種に気づいたり、自分に心地よくフィットするものの存在に気づき始めたりします。意識は大切に養っていくことにより、成長に加速度がついてくる不思議な分野でもあります。

 願望を、苦しみを伴う執着にまで増大させる前に、「あ、執着してるな」と自分で気づくこと、それが意識の成長に欠かせない最初の一歩です。更に悉曇の波動を活用し始めると、実現していきますから、純粋な意図を根強い執着にまで発展させなくて済むのです。飛躍的に意識も人生も成長していきます。

 た だ し ・・・

 もう一つ大切なのは、執着を手放すこと自体にも執着し過ぎないこと!

 これはスピリチュアルな分野を本気で学ぶ人が陥りやすいワナだと言えるでしょう。「何が何でも執着に気づいて手放さなきゃ! どうして自分は執着と縁が切れないんだ!」というのは、それも完全に執着です。なんでも、貪欲にならないことです。貪欲はマインドフルな瞑想の妨げにもなりますし、宇宙の叡智と一つになることの妨げにもなります。何が何でもという貪欲は、それがどんなに良いと思えるものであっても、意識の成長にとって大きな足かせになります。優しくゆっくり、マイペースで良いのです。意識の成長の加速度は自然について来るものですし、人の寿命がそれぞれ異なるように、その人その人によって時間の進みかたも異なるものなのです。成長が早く感じられれば良いというものではありません。逆に、全く成長できていないと感じて足踏みしている時にこそ、実は飛躍的に成長しているということは頻繁にありますから。ありのままを大切にしましょう ♪

 意識の成長に惹かれる方は、一緒に意識を成長させていく方法を学びましょう。

 次回は、執着を苦しみの種へと定着させないことに慣れていくための、お家や職場で簡単に、しかも誰にでもできる基本的な練習法をお伝えします。