執着が苦しみを作り出す

 今回から何回かにわたって、執着と苦しみの関係性について考察し、今の意識をより高次元に成長させることがどのように苦しみの解放につながるのかを見ていきます。

 さあ、まず第一歩として、最初の質問です! 

 あなたは執着というと何を思い浮かべるでしょうか?

 多分すぐに思いつくのは、好きなことへの執着でしょうか。例えば・・・

  • 彼女(彼)のことが好きで好きでたまらない、どうしても付き合いたい♥
  • ワインは〇〇ブランドに限る、常にあれを飲みたい🍷
  • 宝くじでどうしても高額当選したい、当選しなければ夢が実現できない💰
  • 絶対に出世して社長になりたい、なれなければ頑張る意味がない🏁

 その他にもさまざまな執着が思いつくはずです。この地球には、人の数の何百倍、いや、それ以上の執着がありそうですね。

 天文学的な数かも・・・わあ・・ ( ;∀;)

 好きなもの、自分が良いと思える何かが何度も何度も繰り替えし心に浮かんで、どうしても手放せないのはもちろん執着と言えるでしょう。

上記のような思いは「~したい」という執着ですよね。

 それが日々を元気に生きるためのモチベーションになっていると感じている方もおられるかもしれません。もっとも、自分の執着が強すぎることに「もういい加減うんざりだぁ! すっきりしたいなぁ」という方もいらっしゃるかもしれませんが(‘_’)

 執着のジャンルは様々ですが、一旦ここで、もう一つの代表的な執着の現れを拾い上げてみましょう。「~であるべき」という執着です。これは「~であるべきではない」という否定形も含みます。例えば・・・

  • 人(私)は優秀であるべきだ
  • 人(私)は痩せてスマートであるべきだ
  • 人(私)は他人に対して優しい人であるべきだ
  • 人(私)は他人から嫌われるべきではない
  • 社会(人・私)は正しくあるべきだ 
  • あの大会で優勝できた私は何度思い出しても凄い🏆(今は誇らしいことがないけれど😢)・・・つまり、いつだって誇らしい自分あるべきだ

 まだまだ、たくさんありそうですね。「人」を「私」と読み替えても全く同じです。自分以外の誰かに対してそう思うことは、結局のところ全部自分に対しても感じているのですから。(これも宇宙の仕組みのひとつです!)

 「~であるべき」あるいは「~であるべきではない」という規範みたいなものが、ある種の社会秩序を維持していたり、乱れがちな倫理に歯止めをかけたりしているのも事実です。

 でも、このような思い(執着)が強すぎると、どうなるのでしょうか?

 たった今、理想のものを手に入れていない自分、理想の状態にない他者や状況に対する怒りや悲しみが、単なる批判を通り越すと、もしかしたら自分を傷つけたり他者への攻撃や差別といった行動にも発展するかもしれません。実際、国家レベルでも地球上で同様の社会現象が見受けられますよね。

 多くの心の苦しみとか満たされない思いは「~したい(したかった)」と「~であるべき」という2種類から生み出されているようです。

 過去への後悔の思いや悔しさも、殆どがこの2つのどちらかに含まれます。

 自我(エゴ)から生み出されるこのような思いが強すぎると、それは苦しみのサイクルとなって内面に定着します。物質でも人でも状況に対してでも、「今ここにない」対象に固執してしまうと、それは紛れもなく執着そのものとなって人生に暗い影を落とし始めます。

 いま目の前に存在しない人、物、状況に思いを馳せて、例えそれらが未来のことであっても過去のことであっても、そこにこだわることは執着なのです。

例えば・・・

  • 思い通りにならなかった過去(~したかった、~であるべきだった)
  • ちっとも実現しない夢、夢の実現の形はこうあるべきだ(~したい、~であるべき)
  • 結婚なんてするんじゃなかった(~であるべきではなかった)
  • もっと美人に生まれたかった(~であるべき)
  • 人から褒められる自分になるべきだった(~であるべき)

 上記のうち「夢」はとてもトリッキーですね。今の時代、夢を持っていないと何故か自分がひとり取り残されたと感じてしまう人は少なくありません。「夢を持つのは素晴らしいこと」というのが世間一般で標語のようになってしまっているからです。夢が見つからなくて自分が少しでも劣っていると感じて夢を探し続けているとしたら、それも夢を持つことへの執着と言えるでしょうから、これも敢えてリストに加えておきますね。

  • 夢を見つけたい(~したい)

 ね、気づきましたか? 全部、いま現在のことではなく、過去か未来のことに意識が飛んで行ってそこに意識がくっついてしまっているでしょう? 1秒前のことでも、そこに意識がくっついてしまっていますよね? そこが執着を理解するうえで肝心なポイントです ☝

 例えば「夢を見つけたい」ということは、今ここにその夢というのを持てていない(と信じてしまっている)のですから、一見それは過去や未来のことではなく「たった今」のことだと思えるかもしれません。でも実際には「これが夢と呼ぶに値するもの」と自分で定義している何かが「今」は手元にないわけですから、「夢と呼べる何かを持っている未来」に執着しているに過ぎないのです。そして同時に、「夢の定義」を描いた一瞬前の過去(1秒前の過去)の「想念」に執着しているのです。(※ 夢についてはいつか個別に考察しますね)

 このような執着を持ち続けるとどうなるか。繰り返し繰り返し、いま目の前の状況に不足を抱き続けると、頭にそれが浮かんでは、情けなくなったり、気落ちしたり、悔しかったり、後悔したり、単にイライラしたり・・・

 多くの場合、少なからず暗い気持ちを引き寄せてしまいますよね。

 日常的な場面でも同じです。例えば「ワインの種類は〇〇に限る」という、さほど強くない執着だと自覚している場合でも、いざそのワインが今日はお店にストックされていなくて注文できないと知るや、「〇〇ワインが無いのかぁ・・・あ~あ、今日の夕飯は楽しめないな、がっかりだ」と感じ、食事の間たびたびその思いにとらわれているとしたら、それも実は執着なのです。「大好きな〇〇ワインは今日は飲めないけれど、その代わり今まで飲んだことがないのを試してみよう♪ △△ワインもいいかもね」と思えれば、〇〇ワインへの執着は殆ど無いと言えるでしょう。

 ワインが特大のトンカツであっても大好きなタラコスパゲティーであっても同じこと。いま目の前にないもの。そこに即座に喪失感やら、手に入らない感じと共に「喜べない」という感情(感情体という物体)がくっつき、いつまでもその思いに留まってしまう。ものごとの流れがそこで止まってしまう。それが執着の中でも特に苦しみを生み出す執着です。これは単に一回の食事の例に過ぎませんが、仕事や家庭や人間関係、人生全体についても同じことが言えます。

 執着とは、ひとつの対象に引っかってしまう意識、動かない塊(かたまり)です。

 人生を川の流れとするならば、さらさらと流れるのを妨げているのが執着の対象です。その杭は、実は自分が川に打ち込んだものなのですが。

 もしも執着が地球上に存在しないとしたら、そもそも人は一人も生まれて来ないかも知れませんし、あらゆる地上での体験も「全て存在しない」ということになってしまうかもしれません。ある意味、人の行動は執着が生み出していると言っても過言ではなく、歴史の中で作り出されてきたあらゆるモノは、程度の差はあっても執着が生み出してきたと言えるでしょう。人類が作り出してきたものや社会の中には、「好ましい」と感じるものが沢山あります。人にとって便利なもの、健康に結びつくもの、命を長らえるためのもの・・・敢えて言うなら、人類の役に立ちたいという先人たちの拘りが素晴らしいものを生み出してきました。しかし、もしも一つの出来上がった形に人々が執着し続けていたならば、新しい製品も食品もスマホなども次々に生み出されることはなく、ずっと古いものばかりで溢れかえり、現代のように便利な世の中にはなっていなかったはずです。良し悪しを付けずに言えば、執着そのものは人も世の中も変化させる原動力かもしれません。けれども、一つの在り方に留まろうとすると、それは宇宙が自然に変化していく流れに抵抗することと同じですから、当然葛藤が起きてきます。ある時代には人の役に立つと思って作り出されたものでも、後の時代には何の役にも立たなくなっているのに、それでも同じ条件で同じ製品を販売しようと頑張っても売れないのは当然ですよね。製品を改良するなり売り方を変えるなりしないと、ただただ売れなくて悶々とし続ける日々が続きます。

 そして、人もこれと似ていると思いませんか?

 変化することに抵抗するのは、一か所に留まろうとすることと同じです。この前はストックされていたワインがたまたま今日は無い。これも変化です。昨日までの意識で今日を過ごそうと思っても所詮無理なのですが、自我(エゴ)は例え苦しいことであってもそこに意識を置き続ける癖が大好きなのです。自我(エゴ)は保守的でとっても厄介なのです。〇〇ワインが無いことに固執し続けると、新たな△△ワインに出会って楽しむチャンスを失います。

 人間の歴史はそこそこ長いのに(地球の歴史に比べたらとても短いのですが!)、苦しみから完全に解放された聖人と呼ばれる人々は何故こんなにも数少ないのでしょうか。

 お釈迦様やイエス様のように全ての執着を手放すことができれば、間違いなく瞬間瞬間が涅槃(ねはん)でしょう。

 ですが、そこまで行かなくとも、私たちだって多少なりとも執着があるということに自身で気づき、自分の意識が今どこに置かれているかを観察し続けることができるようになれば、状況は随分と変わってきます。執着と上手に付き合い、手放すタイミングのものを快く手放すことができたら、人は今よりもずっと苦しみやイライラや不安から解放され、快適な日々を送れるのではないでしょうか。

 それができるとしたら、突破口はその時々の自分の波動を知り、波動を変えること。瞬時に波動をシフトさせる方法を学ぶと良いのです。

 それについては後日お伝えするとして・・・

 その前に次回はまず、執着がどうして、お目当てのワインやスパゲティーが手に入らない「チェッ!」という小さな感情を遥かに超えた、強烈な苦しみまでも作り出すのか、そこを見ていきたいと思います。

 対象を観察することは、それを超えていくことです。自分の行動や意識を良し悪しを付けずに観察し執着に気づくことが、執着をひとつひとつ超えていく方法です。

 それには瞑想も多いに役立つので瞑想の仕方も後日お伝えしたいと思いますが、瞑想をするタイミングではない方が瞑想に取り組むとどうなるか、それについても別途取り上げたいと思います。

 一緒にご自身を見ていきましょう。でも、決してご自分に厳しくしてはいけません。いかなる場合でも、ご自身を大切な尊い存在として優しく接するように心がけましょう💗